935年勃発説は時代遅れ!?「平将門の乱」が起きた本当の理由と最新の学説を紹介【後編】 (2/4ページ)
では、彼が国司を襲って新皇を名乗ったとされる第二の局面についてはどうでしょうか。
将門は桓武5世であり、父が鎮守府将軍でもあります。さらに、一族の紛争を実力で勝ち取った名望と実績のおかげで、彼は自力救済の力をもたない武士たちの調停者として頼られる存在となったのでした。
こうした経緯を背景として、いわゆる平将門の乱の第二の局面を招くことになります。
汚職役人から訴えられる当時は、都から国司が派遣されると検注が行われるのが一般的でした。検注とは、簡単にいうと税の徴収のための土地調査です。とても嫌ですね。
さてこの検注を受けるにあたり、地元の人々は、赴任してきた国司に賄賂を贈るのが慣例でした。そうして税の減免を求めたわけです。
ただ、そればかりではありません。都から赴任した国司(守)と、地元の有力者や土地の開発領主としての武士たちは、この検注の手続きを進める中で協力できる場合もあれば対立・紛争に至る場合もあります。