935年勃発説は時代遅れ!?「平将門の乱」が起きた本当の理由と最新の学説を紹介【後編】 (4/4ページ)

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将門にすれば、これは自らによる調停の結果であり、国司の横暴を自力救済し、地元の人々の利にかなう役人を自ら任じたつもりだったのかも知れません。

平将門の像

また、この「乱」の中で彼は新皇を称していますが、これは必ずしも都の朝廷にとってかわり、全国制覇を目指したわけではなかったと考える研究者もいます。

彼が新皇と称したのは、将門が「守」や「介」に任じられた人物を朝廷に追認させるためのデモンストレーションだったという考え方です。

このように見ていくと、従来、平将門の乱と言われてきたものはほとんどが「乱」と言えるものではなく、そのことは公的にも認められていたと言えるでしょう。

参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社

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