935年勃発説は時代遅れ!?「平将門の乱」が起きた本当の理由と最新の学説を紹介【後編】 (1/4ページ)
平将門の乱の「第二の局面」
【前編】では、935(承平5)年に勃発したとされている、いわゆる平将門の乱が発生するまでの経緯を見てきました。
935年勃発説は時代遅れ!?「平将門の乱」が起きた本当の理由と最新の学説を紹介【前編】その第一の局面とされる争いは、朝廷に対する「乱」とは言えないことが分かったと思います。
日本史を学習していると、地方の武士はアウトロー(無法者)で、貴族の手に負えない存在だったと説明されがちです。
しかし地方で争乱が起きると武士たちは都に訴え、その裁決を受けて従うことも少なくありませんでした。
現に、平将門も【前編】で説明した一族間の紛争では、朝廷からの召喚に応じて検非違使の尋問も受けています。
武士の世界には原則として自力救済の慣習があったものの、10世紀の段階では、武士に対する朝廷の裁決は有効なものだったことがわかります。
