愛娘・彰子が生贄に!暗雲たちこめる夫婦仲、石山寺でまさかの道長!「光る君へ」6月30日放送振り返り (2/6ページ)
定子は別格としても、既に三つ巴の争いが繰り広げられている中に娘を放り込むのは、気が気でなかったことでしょう。
しかし元子は想像妊娠騒ぎ以来里帰りしており、あまり寵愛されなかった義子も尊子も妊娠せずにいました。
このチャンスを逃す手はありません。国家のためなら個人の幸せなど知ったことではない……安倍晴明のセリフは、道長の本音だったのではないでしょうか。
自分が日本国を正しい方向に導くのだから、そのために必要な権力を追求するのは国家のためなのである。今後もそのような方針で娘たちを入内させるものと思われます。
なお彰子は何だかんだあっても、後に一条天皇の寵愛を受け、無事に使命を果たすのでご安心ください。
紫式部が仕えた一条天皇の中宮、12歳で天皇に入内した平安時代のプリンセス 藤原彰子 長徳から長保(ちょうほう)に改元前年の災害続きに耐えかねて、長徳5年(999年)1月13日に長徳から長保へと改元しました。
これは漢籍『国語』から採ったもので「民の幸せな暮らしを長く保つ」意味をもっています。
長保6年(1004年)7月20日に寛弘へ改元されるまでつづきますが、元年にこんな事件がありました。
長保元年(999年)8月18日に大和国で藤原良信(よしのぶ)が強盗団の襲撃を受け、殺害されてしまいます。
大和守の源孝道(たかみち)が捜査したところ、実行犯4名を捕縛しました。
取り調べの結果、首謀者は文春正(ふんの はるまさ)。彼は藤原宣孝の荘官(しょうかん。荘園の管理者)だったと言います。
