実は日本を攻撃する気はなかったペリー提督!「交渉」から「恫喝」に切り替えてまで開国を急いだ理由 (3/5ページ)
しかし、ペリーが本当に武力行使する可能性は、極めて低かったことが分かっています。彼のやり方はあくまでも「武力行使も辞さない態度を見せる」のが第一で、本当に攻撃する気はほとんどなかったのです。
なぜそう言えるのでしょうか。そもそも彼はどんな人物で、どのような態度で日本に臨んでいたのでしょうか。
交渉から恫喝へ、しかし武器使用は禁止そもそもペリーが日本を訪れるよりも60年以上前から、欧米諸国は開国を求めて日本近海にやってきていました。しかし、幕府も態度を軟化させることはあったものの、外国船を警戒して要求を呑もうとはしませんでした。
そこでペリーは、イギリスの軍事的圧力に屈した清国のケースを参考に、武力を盾に日本を脅して要求を呑ませようとしたのです。
「武力を盾に」というのがポイントで、「直接的な武力行使によって」ではない点に注意して下さい。
彼は空砲などで威嚇はしたものの、乗組員には日本側が危害を加えない限りは武器を使わないよう指示しています。