決して「軍部の操り人形」ではなかった昭和天皇。日本軍のまっとうな統率者としての実像とは (3/4ページ)
実際、戦争末期には政府も軍部も、降伏するとしても天皇制の維持を優先すべきだと考えていました。その意味では、天皇・政治家・軍人の思惑は根本で一致していたと言えるでしょう。
今の時代からは想像もつきませんが、日本の秩序維持のためには天皇制は欠かせないものだったのです。
ターニングポイントは沖縄戦こうしたことから、よく言われるように昭和天皇は軍部の操り人形だったわけではなく、軍部からの報告も形式的に聞いていたわけではないことが分かるでしょう。
天皇は、軍事作戦の内容について、時には疑問点がなくなるまで質問攻めにしていたことが分かっています。また、戦況が圧倒的に不利でも戦闘継続を求めたこともありました。
例えば沖縄戦では、戦況は不利だったにもかかわらず陸軍に総攻撃を決断させています。
沖縄県営平和祈念公園「各県戦没者(霊域ゾーン)」新潟県戦没者の碑(新潟の塔)
また、昭和20(1945)年2月に近衛文麿元首相が終戦交渉を上奏しても、戦果が乏しいため降伏はできないとしました。あくまでも、日本にとって有利な状況を作り出すことを政府と軍に求めていたのです。
しかし、沖縄戦ではアメリカに大した打撃を与えられず、沖縄が占領される結果に。こうなると、本土決戦になったとしても勝利する望みは薄いです。