決して「軍部の操り人形」ではなかった昭和天皇。日本軍のまっとうな統率者としての実像とは (2/4ページ)
後世では、軍部が都合のいい情報で天皇を誤魔化したようなイメージがありますが、それは誤りです。実際には、作戦の詳細や戦地の状況はこと細かに天皇に伝わっていました。
昭和天皇は、軍部をコントロールした上で軍事行動を容認し、きちんとした戦果を挙げることで国益につなげようと考える、至極まっとうな統率者だったのです。
最優先事項は「天皇制の維持」昭和天皇が軍部をきちんとコントロールした上で、対外的な軍事作戦にも理解を示していたのには、天皇制を維持したいという思いがあったのではないか、という指摘があります。
彼は青年時代に欧州を外遊し、第一次世界大戦の被害が色濃い各国をじかに見ました。これにより、天皇は戦争の悲惨さを痛感したのです。
1921年の訪英時の写真(中央が昭和天皇)。当時のロイド・ジョージ英首相と(Wikipediaより)
昭和天皇が欧州外遊で実感したのは、平和の尊さだけではありません。敗戦国の王族が力を失い、帝政が崩壊した現実も目の当たりにしました。
もしも日本が欧米諸国との戦争に負ければ、皇室が厳しく処分されるのは必須です。事実、戦後のアメリカ世論は昭和天皇への厳しい処分を求めていました。だからこそ、降伏する際に譲歩を引き出せるよう、昭和天皇は軍部の戦果拡大を容認したのではないか、という説もあるのです。