父から息子に引き継がれる「男色」の歴史!足利将軍たちと絶世の美少年たちの関係【前編】 (4/4ページ)

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当時、能はまだ伝統芸能として世間に認められておらず、能楽師達の地位は低いものでした。それにも関わらず、愛する世阿弥をVIP席に同席させた義満はかなり批判されました。

そんな世論は物ともせず自分の芸を磨いていった世阿弥。世阿弥と仲良くなり義満に取り入ろうと、世阿弥へのラブレターをわざと義満の目に触れさせ、嫉妬心を煽るなどの工作をする公家も登場いたそうです。

義満は、「花の御所」と呼ばれる豪壮華麗な屋形を作り、美しい阿弥と贅を尽くした暮らしを送っていました。時の流れとともに世阿弥の美しい容色にも老いが忍び寄りますが、二人の関係は続きます。

そして、1408年(応永15年)、義満が50歳で病死。義満と世阿弥の関係は途絶えたのでした。そんな義満の男色の血を色濃く引き継いだのが6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)です。

【後編】では、父親同様に美少年を愛した足利義教の男色をご紹介しましょう。

紙本著色足利義教像(重要文化財。妙興寺蔵)wikipediaより

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