紫式部の夫・藤原宣孝の死因は何だったのか?ほか…大河ドラマ「光る君へ」7月28日放送振り返り (4/5ページ)

Japaaan

あやまちあり)」として任期継続ならなかった為時。

きちんと納税していたのに、宋人らを追い返せなかったことが理由とされていました。

真面目に善政をしいた設定(実際どうだったかは不明)なのに、つくづく仕事運のない人ですね。

この後も数年間にわたり官職は得られず、次の任官は寛弘6年(1009年)の左小弁を待たねばなりません。

左少弁(さしょうべん)は太政大臣の下に属する監督官(弁官)の下級ランクで、各官庁の勤務態度等を監督しました。堅物の為時には打ってつけかも知れませんね。

ところで受領功過定とは、律令制における考課制度を受け継いだもので、特に受領(国司)の勤務態度を考査するものでした。

かつての考課では任期中の政治姿勢を総合的に審査したと言いますが、受領功過定ではもっぱら「ちゃんと租税を取り立て、朝廷に納めたか」が評価されるようになったそうです。

劇中では為時がちゃんと納税していたと言及されていたので、実際の為時は別の理由で「過」とされてしまったのでしょう。

一度「過」認定されてしまうと、「過」が解除されるまで次の任官が叶わなかったというから大変です。

果たして為時は、どんな理由で「過」とされてしまったのでしょうね。

田鶴と巌君が舞っていた「陵王」と「納蘇利」とは

蘭陵王(画像:Wikipedia。Gisling氏)

劇中で田鶴(のち藤原頼通)と巌君(のち藤原頼宗)が舞っていたのは、雅楽の陵王(りょうおう)と納蘇利(なそり)。それぞれどんな舞なのでしょうか。

「紫式部の夫・藤原宣孝の死因は何だったのか?ほか…大河ドラマ「光る君へ」7月28日放送振り返り」のページです。デイリーニュースオンラインは、蘭陵王納蘇利納曽利田鶴巌君カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る