紫式部の夫・藤原宣孝の死因は何だったのか?ほか…大河ドラマ「光る君へ」7月28日放送振り返り (2/5ページ)

Japaaan

『枕草子』への対抗心が、まひろに筆をとらせた?(イメージ)

長保3年(1001年) 1月1日 一条天皇が御薬の儀を行う 1月2日 御薬の儀で藤原宣孝が後取を務める 2月5日 藤原宣孝が痔病により役目を辞退する 4月25日 藤原宣孝が卒去する 8月3日 敦康親王が藤原彰子の養子となる 10月6日 田鶴と巌君が陵王と納蘇利を稽古 10月7日 試楽で田鶴が陵王、巌君が納蘇利を演舞 10月9日 藤原詮子「四十の賀」本番。
同日 一条天皇が納蘇利の師・多好茂(右兵衛尉)を叙爵 11月13日 敦康親王の着袴(袴を着ける。七五三みたいな儀式) 閏12月12日 藤原行成が藤原詮子を見舞い、宿直する 閏12月14日 藤原行成が藤原詮子を見舞う 閏12月16日 藤原伊周が正三位に復帰する 閏12月22日 藤原詮子が崩御する

今回は長保3年(1001年)の1年間が描かれました。

宣孝の最期に立ち会えなかったのは側室という立場上、その通りとは思いますが、あまりにもあっさりでしたね。

先週死にかけていた道長の夢枕?には立ったのに、宣孝の方には行かなかった?ようです。

宣孝の生命を奪った病とは、いったい何だったのでしょうか。以前、藤原行成の日記『権記(ごんき)』より、宣孝に関する記録を紹介していますので、詳しくはこちらをご覧ください。

紫式部の夫・藤原宣孝はなぜ亡くなったのか?死因はまさかの!藤原行成『権記』によると… 【光る君へ】

ともあれATMもとい大黒柱を喪ったまひろ一家は、生活に窮したことでしょう。国司時代に少しでも蓄えておいたことを願うよりありません。

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