「桶狭間の戦い」に関するいくつかの誤解をただす!織田家と今川家の勢力はほとんど同じだった? (1/3ページ)

Japaaan

「桶狭間の戦い」に関するいくつかの誤解をただす!織田家と今川家の勢力はほとんど同じだった?

織田家と今川家の差

桶狭間の戦いには、小大名の織田信長が、大大名の今川義元を破った奇跡の戦いだというイメージがつきまとっています。

今川家は足利将軍家親族の名門です。古くから駿河の守護に任じられ、義元の時代には遠江、三河も領有していました。桶狭間の戦いの直前には、尾張の南東部にまで勢力を伸ばしています。

浮世絵で描かれた今川義元(Wikipediaより)

対する織田家は、有力大名だった斯波家の代役として土地を治める守護代の家系。信長の父の代で独立しているものの、領土は尾張一国の一部のみでした。信長の当主就任直後には弟・信勝が謀反を起こすなど、家中も不安定な状態でした。

そんな状況下、桶狭間の戦いで信長が招集できた兵は6000人(信長本隊2000人)だったのに対し、今川の軍勢はおよそ2万5000人。兵数は史料によって異なるものの、両者に大きな差があったことは間違いないようです。

だからこそ、桶狭間の戦いで信長が勝ったのは奇跡だと考えられていました。

互角だった信長と義元

しかし現在は、両家の格差はそれほどなかったという見方が有力です。その根拠は、織田家の経済力にあります。

「「桶狭間の戦い」に関するいくつかの誤解をただす!織田家と今川家の勢力はほとんど同じだった?」のページです。デイリーニュースオンラインは、桶狭間の戦い今川義元戦国時代織田信長カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る