ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】 (3/7ページ)
江戸時代前期の歌人、俳人、北村季吟。松尾芭蕉、山口素堂など優れた門人を輩出(wiki)
趣味が合いお互いの才能に惹かれあう若き二人良忠は藩主の御曹司、かたや芭蕉は貧しい農民の子。
良忠は一生の生業にしたいというほどの俳諧好きで、その才能は北村季吟も認めるところだったとか。仕える芭蕉も際立った才能を認められていました。
身分差はありながらも、二人は俳句を通して心を通じ合わせ、友情を超えた男色の関係にあったのではないかという説もあるのもうなずける話です。
当時、若い武士の間では男色は珍しくない時代。互いに才能を認め合う同士の間に男色があったとしても決して不思議でないでしょう。
ところが、芭蕉が22歳の頃、藤堂良忠は24〜25歳という若さで亡くなってしまいます。愛しい人の死はショックだったのでしょう。いずれにせよ、この主人の死がきっかけとなり芭蕉は、藤堂家を去ったようです。
「私も昔は衆道好き」だった芭蕉は29歳で、初の出版物『貝おほひ』という俳諧集を出します。
その中の句に
我も昔は 衆道好きの ひが耳にや
(わたしも、昔は衆道好きの 僻みっぽい 人間だった)
というものがあります。