ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】 (2/7ページ)
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」で知られる立石寺(photo-ac)
松尾芭蕉は、寛永21年(1644年)、伊賀国阿拝郡(今の三重県伊賀市)柘植郷(つげのごう)の、土豪出身・松尾与左衛門の次男として生まれました。
※阿拝郡のうち、上野城下の赤坂町(今の伊賀市上野赤坂町)や上柘植村(今の伊賀市柘植町)で生まれたという説もあり
松尾家は「平家の流れをくむ」とわれていましたが、苗字・帯刀こそ許されていたものの身分は武士ではなく農民階級だったそうです。
2歳年上の主君であり文学青年だった人との出会い松尾芭蕉は、わずか13歳で父親が亡くし、非常に貧しい生活を送らざるおえなかったそうです。
19歳のとき、津藩(つはん/今の三重県津市)の藩主・藤堂良勝(とうどうよしかつ)の7男で、2歳年上の藤堂良忠(とうどうよしただ)の奉公人となり台所用人、料理人として仕えるようになりました。(諸説あり)
藤堂良忠は俳句を愛したそうで、芭蕉を句会に参加させたり京都の北村季吟に師事したりと、共に本格的に俳諧の道へ歩んで行ったそうです。