ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】 (5/7ページ)

Japaaan

また中国では「桃を分ける」「分桃(フェンタオ)」は男性同士の愛の代名詞とされています

君主霊公に寵愛されていた男性・弥子 瑕(びし か)(wiki)

芭蕉が愛した弟子との紀行文はロマンティックな句が

延宝6年頃(1678年/35歳)に「宗匠」となり、いわば職業的な俳諧師となった芭蕉は、37歳の頃には江戸深川隅田川畔に「草庵」を結びました。

庭に芭蕉の株を植えたところ大いに茂ったことから、庵が「芭蕉庵」と呼ばれるようになり、俳号としても「芭蕉」を好んで用いるようになりました。

この頃芭蕉には、20人ほどの門弟がいたそうですが、芭蕉はお気に入りの弟子を連れて旅によく出かけていたそうです。

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