日本史上屈指の偉人・聖徳太子の実績を全否定!『日本書紀』によって歪められた人物像【前編】 (3/4ページ)

Japaaan

近年は、厩戸王(うまやどのおう)と呼ばれることが多くなりました。

厩戸王は用明天皇の皇子で、母は有力豪族である蘇我一族に連なる人物です。この厩戸王を称えるために、死後しばらくしてから使われた呼び名が「聖徳太子」です。

用明天皇(Wikipediaより)

さてそれで、死後に尊称が贈られるくらいだから、さぞ大きな功績を残したのだろうと思うかも知れません。

しかし先述した通り、前項で挙げた政治的実績は、現在では脚色が多いことが分かっています。

出典は、厩戸王の死から約100年後に完成した『日本書紀』(以下書紀)です。

もともと書紀は編纂時の都合で脚色されている箇所が多いです。そうした脚色を取り除くと、上記の事業を厩戸王が主導したとまではいえないことが分かるのです。

遣隋使も、憲法も、冠位十二階も…

まず、遣隋使は厩戸王よりも前に「大王」が派遣したという記事が中国の史料「随書』に残っています。

この大王というのが誰を指すのかは諸説あり(推古天皇や蘇我馬子などを指すという説もある)、厩戸王だと言い切れるほどはっきりした根拠はありません。

また十七条の憲法に関しては、豪族の権力が強かった当時、天皇中心の国づくりを謳うことが本当にできたのかという疑問が出ています。

そして冠位十二階に至っては、厩戸王が主体的に関わった証拠はありません。

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