破廉恥が過ぎる!四人がかりで稚児を辱めた平安貴族たちの男色エピソード【光る君へ 後伝】 (2/4ページ)
「麿はこれを」
「ならば麿はこちらを」
「しからば麿は……」
それぞれ何を贈ったのか記録は残っていないようですが、乙犬丸が喜びそうなものを片っ端から贈ったのでしょう。
もちろん贈り物に対して、相応の「見返り」を求めたであろうことは、想像に難くありません。
なんてことが長暦3年(1039年)10月に発覚。永円や三井寺当局がどう思ったかはハッキリしないものの、恐らくは遠ざけたものと考えられます。
「本人のためにもよくありませんから、今後こういう贈り物『など』はご遠慮ください」
あるいは、それまで(贈り物目当てに)黙認していたけど、都合が悪くなったから手のひらを返した可能性も否定できません。
いずれにしても、乙犬丸を愛でられなくなった四人は、どうしたものかと考えます。
「「「「諦めるなんて選択肢はありえない!」」」」
もはや煩悩の塊と化した四人は、強硬手段に出るのでした。
乙犬丸を五節所で……月をまたいで11月。豊明節会(とよあかりのせちえ)を前に、計画は実行されます。
豊明節会とは、神々に収穫を感謝する新嘗祭のフィナーレ。五節舞の奉納などが有名ですね。
「「「「せーのっ!」」」」
四人は三井寺から乙犬丸を迎えとり(ほとんど拉致状態?)、京都へ連れ帰りました。
そして五節所(ごせちどころ。豊明節会のスタッフルーム的な所)へ担ぎこみ、かわるがわる抱懐して伏した……つまり事に及んだと言います。まったくとんでもない連中ですね。