ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り (4/7ページ)

Japaaan

その後の敦康親王

人々の同情を集めながら典雅に生き、若くして世を去った敦康親王(イメージ)

……御才(おんざえ)いとかしこう、御心ばへ(心映え)もいとめでたうぞおはしましし……

※『大鏡』より

才能があり、心映えも素晴らしいと評判であった敦康親王。それもあって皇位継承候補から退けられてしまいました。

劇中でも言及されていた通り、敦康親王はその後、典雅と風流に生きていきます。

歌合や物見遊山を楽しんだり、法華八講を催したりなど、なかなか充実した生活でした(でなきゃやってられませんよね)。

長和2年(1013年)12月10日に具平親王女(ともひら娘)と結婚しました。

長和5年(1016年)7月19日に一人娘の嫄子女王(げんし/もとこ。藤原頼通の養女なので藤原嫄子)を授かります。

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しかし寛仁2年(1018年)12月17日に突如として病いを発し、出家した後に20歳という若さで薨去してしまったのでした。

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