神輿をひっくり返して破壊する!?木曽福島・天下の奇祭「みこしまくり」とは? (2/4ページ)

Japaaan


お神輿のレプリカ(筆者撮影)

御輿の前後には「宗助・幸助」と呼ばれる2人の『精進』が付いて歩きます(宗助・幸助のことは後述します)。町内の約半分を練り歩き、上の段と呼ばれる江戸の風情の残る地域にある「御旅所(おかりや)」という場所で一晩を過ごし、一日目は終了です。

2日目、御輿は同じように町内の残りの半分を練り歩きます。夕方になると、いよいよ最初の「横まくり」が行なわれます。そして夜になると「宗助!幸助!」の掛け声とともに、縦に横にと豪快にまくられていくのです。

宗助・幸助の伝説とは

ではなぜこのような荒々しい祭りになったのでしょうか。

平安時代の初期、木曽の宗助と幸助という若い樵(きこり)が、飛騨の国(岐阜県高山地方)へ出稼ぎにいきました。
その近くに水無神社(みなしじんじゃ)という立派な宮があり、崇敬を集めていました。しかし数年後に戦が起こり、方々で上がった火の手が水無神社にも迫ってきました。
「このままでは、立派なお宮が焼けてしまう」
そう危惧した二人は「神輿に神様をのせて、木曽へ運ぼう」と決意し、新しく作った神輿にご神体を移して逃げ出しました。
しかし村人たちに見つかり、「泥棒!」と大勢の村人に追いかけられました。
二人は重い神輿を担いでいたため、とうとう国境の峠で追いつかれてしまい、「神輿を返せ」「いや、だめだ」と押し問答に。
神輿の取り合いをしているうちに、宗助は「幸助、神輿を木曽のほうへまくれ!」と幸助に叫びます。そして幸助は、力まかせに神輿をまくり落としました(蹴落とした)。

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