高き理想と強固な決意!「新選組」始まりのきっかけを作った幕末の志士・清河八郎の知られざる一面とは? (3/5ページ)

Japaaan

そのころ遊郭で「蓮」という女性と出会い、熱烈にアプローチをして娶ります。その新婚時代にペリーが来航(1853年)、幕府の外交に不満を抱き、次第に「今の幕府では日本が危ない」と倒幕の立場に転じます。そして神田お玉が池に文武指南所を開いて同志を集め、倒幕挙兵を画策するようになります。

「一挙にして天子を奉り錦旗を奉じ、天下に号令すれば即ち回天の大業をたてん」

いわゆる尊王攘夷の思想が、既に固まっていたのです。

しかし、いよいよ活動を本腰に入れる際に、幕府の密偵とおもわれた町人を無礼討ちにしてしまい、逃げ隠れることになるのです。清河を失った江戸の同志は散り散りになりました。

清河、京都で挙兵すんでだった

そのあと清河は全国を遊説して、文久元年(1861年)の32歳のときに九州を訪れ、薩摩藩が千人近くの兵を京都に送るという情報を得ます。

清河は、この薩摩藩の動きに呼応し、京都で全国の志士に呼びかけて300人を京都に集めます。

「近日中、義旗を相翻し回天の一番乗り仕るべく心底にござ候」
(我こそが回天の一番乗り、世の中を変える先駆けとなる)

と意気込んでいましたが、京都に潜伏してた薩摩藩の志士たちが検挙され粛清されてしまい(寺田屋事件)、またも計画は頓挫します。

清河は失意のまま江戸に戻りますが、そこであの奇想天外な策を思いつきます。幕府に「身分を問わず優秀な者を集めて、浪士隊を結成し、治安維持に努める時である」という建言書を出すのです。

幕府にとっても市中にあぶれた浪士をまとめて監督できるし、自らの手を汚さなくてもいいということで、この意見は見事に通り、募集にあたっては大赦までしてくれるということで、清河は獄中の同志の解放にも成功します。

愛妻家の一面も

しかしその中には愛妻・蓮の姿はありませんでした。

江戸で事件を起こした時に、妻の蓮もとらわれて清河の居所を聞き出すために激しい拷問を受け、そのままはしかにかかり死んでいたのです。

清河は蓮が囚われたときに妻をおもいやって、「妻がいかに苦労しているかはよくわかっている。

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