高き理想と強固な決意!「新選組」始まりのきっかけを作った幕末の志士・清河八郎の知られざる一面とは? (4/5ページ)
どうか自分が成功する日を待っていて欲しい」という詩を読んでいました。蓮の死に落胆した清河は、かつて遊女との結婚に大反対された自分の両親に「わが子のように思って供養を」と頼み込んでいます。
そもそも蓮とは遊郭での酒宴中にであったようです。遊びでばらまいたお金に目もくれない蓮の毅然とした態度に惚れこみ、何度かラブレターを送っています。
その中には「あなたさえ心変わりしなければ自分は絶対見捨てたりしない。しかし、私に嫁ぐと苦労を掛けるかもしれないから、農家や町人に嫁いだほうが安心して暮らせるだろう。よく考えて決断して欲しい」という細やかな一面もみせています。
幕府を唆し浪士隊結成も…話は戻ります。1863年、幕府のお墨付きを得て、清河主導で浪士隊が結成。ここに、その後の新撰組メンバーも加入。上洛の将軍を警護するという名目で出発します。
しかし隊列に清河の姿はなく、彼は京都に先回りしていたのです。
そして2月23日、京都に到着した浪士隊の前に姿を現した清河は「京都に来た本当の目的は幕府のためではなく、尊王攘夷のためであり、朝廷に我らの意思を上奏する」とつげて、呆気に取られているうちに隊士たちから誓約書の血判書をもらい、翌日の24日には朝廷に提出するという早業をみせます。
(このあとは歴史好きなら存知のとおり、近藤らが異を唱えて離脱、自分たちで「壬生浪士組」を結成することとなり、のちに新選組になります)。