流浪と反逆!室町幕府のラスト将軍・足利義昭の苦難と悲劇に満ちた壮絶人生【後編】 (1/4ページ)
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流浪と反逆!室町幕府のラスト将軍・足利義昭の苦難と悲劇に満ちた壮絶人生【中編】 信長包囲網再び義昭は全国の大名に書状を送り、信長包囲網の構築に奔走しました。そのなかで、様々な武将と連携を深めていくわけですが、特に上杉謙信との連携は重要でした。
謙信は信長との対立姿勢を鮮明にしており、義昭の呼びかけに応じて武田勝頼や北条氏政との講和を進める動きを見せました。また、毛利水軍は本願寺に対する兵糧補給作戦を成功させるなど、信長の支配力を揺さぶる行動を展開しました。
しかし、信長は次々と反対勢力を撃破していきます。1577年には、義昭が頼りにしていた上杉謙信が急死し、上杉家は後継争い(御館の乱)に陥りました。これにより、信長包囲網は大きな打撃を受け、義昭の影響力も低下していきました。
鞆幕府の終焉
1582年、信長は本能寺の変で明智光秀によって討たれました。
