聖徳太子の有名な肖像画は謎だらけ…描いたのは中国人!?ではそもそも描かれた理由は? (3/4ページ)

Japaaan

雛飾りでも使われている「笏」

ではそもそも「聖徳太子二王子像」が描かれたのはいつなのかというと、実ははっきり分かっていません。

一応、人物の眉の描き方などから、8世紀半ばの奈良時代だろうというのが通説になっています。

つまりあの絵は太子の死後百年以上も後の作品であり、生前の姿を描いたわけではないのです。画中の太子が、存命中にありえなかった笏を手にしているのはそういう事情もあるのです。

作者は中国人

聖徳太子が笏を持って描かれたことは、後世の人々が彼をどれほど偉大な存在として敬ったかを示していると言えるでしょう。

現在、教科書などでは聖徳太子という名前は使われなくなってきています。しかしこの名称は、今も日本史上屈指の偉人を示すものとして今も十分に通用しています。

「聖徳太子二王子像」が保管されている法隆寺、その三重塔

ただ、その聖徳太子を描いたものとして最も有名な「聖徳太子二王子像」については、分かっていないことがまだたくさんあります。

「聖徳太子の有名な肖像画は謎だらけ…描いたのは中国人!?ではそもそも描かれた理由は?」のページです。デイリーニュースオンラインは、古代日本肖像画聖徳太子飛鳥時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る