すべては織田軍の罠だった!?「桶狭間の戦い」で今川義元はなぜ“休憩“していたのか… (1/3ページ)
油断しすぎた今川義元
皆さんご存じの通り戦国時代の1560年(永禄三年)、桶狭間の戦いで、織田信長は今川義元を討ち取りました。
「桶狭間の戦い」はなぜ起きた?正確な場所はどこ?有名なのに実は不明点だらけ…【前編】この桶狭間の戦いそのものが謎が多く、そもそも桶狭間という土地は正式には一体どこなのかいまだに不明という有様なのですが、そうした謎の一つに今川義元はなぜ桶狭間で休憩を取っていたのかというのがあります。
義元は、桶狭間で陣を取り休憩していたところで、信長の強襲に遭って首を奪われています。
休憩していたせいで首を取られたとあっては、当時の戦国大名の中では屈指の有力大名だった今川義元も、いくらなんでも油断しすぎだという誹りを免れないでしょう。
なぜ、義元はよりによってそこで休憩を入れたのでしょうか。
領民の協力があった実はこれは、織田軍による謀略が奏功した面が大きいといわれています。
