江戸時代に「狂歌四天王」として活躍した鹿津部真顔とはどんな人物だったのか?【大河べらぼう】 (2/4ページ)
またの名を北川嘉兵衛(きたがわ かへゑ)、雅号は紀真顔(きの まがお)・狂歌堂(きょうかどう)・鹿杖山人(かせづえさんじん)・俳諧歌場(はいかいうたば)・万葉亭(まんようてい)・四方歌垣(よものうたがき)・四方真顔(よもの まがお)・好屋翁(すきやおう)・恋川好町(こいかわ すきまち)などなど。
特に後半の雅号から、女好き(または男好き?)であったことが察せられます。
紀姓は本姓なのか、または紀貫之などに憧れたがゆえの自称なのでしょうか。
鹿杖とは先端が二股になっている杖、または僧侶が使う鹿角をつけた杖のこと。俗情と無縁のような名前でありながら、実はムッツリ助兵衛だったのかも知れません。
雅号の一つ一つに込められた思いを推察するだけでも、とても面白いですね。
ちなみに鹿津部真顔という雅号は「しかめっ面の真顔」のもじり?今どきの表現をすればチベットスナギツネのような……とでも言いましょうか。
まぁ要するに、そんな偏屈屋さんだったようです。
狂歌四天王そして狂歌界を二分する重鎮に
天明2年(1782年)に狂歌を志して元木網(もとのもくあみ)に弟子入りしたものの、天明4年(1784年)には大田南畝(おおた なんぽ)の門下となりました。