大将の討死、敗走、殲滅…戦国時代、合戦の勝敗はどのように決められていたのか?判断基準を紹介 (2/3ページ)
大友軍が島津軍に追い込まれ、耳川の激流に呑まれた耳川の合戦がこれにあたります。
ここまでは勝敗がわかりやすいケースですが、他にも、どちらが優勢というわけでもなく、両軍が適当なところで引き上げたという戦いも少なくありません。
こうした合戦の場合は、お互いの軍が「勝ったのはわが軍である」と宣伝していました。今で言う(言わないですが)大本営発表みたいなものでしょうか。
大本営発表であれなんであれ、より宣伝上手だった方が兵や民の心を掴むことができたのは、戦国時代も同じだったようです。
実際、そうやって人心を掌握できた武将の方が、最終的な勝者となることも少なくありませんでした。
討ち死にした武士の葬儀は…ところで戦国時代、こうした合戦で討ち死にした場合、亡くなった武士の葬儀代はすべて主家の負担で行われていました。
その際、戦死者に子弟がない場合でもそれでお家断絶とはせず、当座は父母や妻に緑を与え、彼らの選んだ者に家督を継がせるのが普通でした。
自分が戦場の露と消えても、家は残り、家族の面倒を見てもらえるというセーフティネットが用意されていたからこそ、 武士たちは主家のために必死になって戦ったのです。