幸せを目前に…吉原遊廓で”無双の花魁”だった「若紫」がたどった悲劇の最期とは? (2/3ページ)

Japaaan

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そんな彼女は吉原遊廓でも憧れの的であり、ついに身請け話がもたらされました。

時に明治36年(1903年)、若紫は22歳の花盛りです。

通常は10年を原則とする遊女の年季奉公より大幅に短く苦界を脱出できる。そんな喜びの中で、年季明けを指折り数えて待ち望んでいたことでしょう。

しかし同年8月24日、事件は起こりました。

若紫は暴漢によって刺殺されてしまったのです。

犯行の動機は諸説あるようで、若紫の結婚を怨んで無理心中を図ったとか、まったく無関係の通り魔に襲撃されたとも言われます。

結婚まであと数日だったのに、若紫こと勝田信子は、若い生命を散らされてしまったのでした。

現代の浄閑寺(画像:Wikipedia)

女子姓は勝田。名はのふ子。浪華(なにわ)の人。若紫は遊君の号なり。明治三十一年始めて新吉原角海老楼に身を沈む。

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