幸せを目前に…吉原遊廓で”無双の花魁”だった「若紫」がたどった悲劇の最期とは? (3/3ページ)
楼内一の遊妓にて其(その)心も人も優にやさしく全盛(ぜんせい)双ひ(ならび)なかりしが、不幸にして今とし(今年)八月廿四日思はぬ狂客の刃に罹(かか)り、廿二歳を一期として非業の死を遂けたるは、哀れにも亦(また)悼ましし。そが亡骸を此地に埋(うず)む。 法名紫雲清蓮信女といふ。茲(ここ)に有志をしてせめては幽魂を慰めはや(しずめばや)と石に刻み若紫塚と名(なづ)け永く後世(ごせい)を弔ふことと為(な)しぬ。
※永井荷風『断腸亭日乗』より、若紫塚記(昭和12・1937年6月22日)
若紫プロフィール 本名:勝田信子(かつだ のぶこ) 生没:明治15年(1882年)生~明治36年(1903年)8月24日没(享年22歳) 出自:武家か(諸説あり) 故郷:浪速(大阪府) 職業:吉原遊女/明治31年(1898年)~ 所属:角海老屋 死因:刺殺(無理心中?通り魔?) 墓所:浄閑寺(東京都荒川区南千住) 戒名:紫雲清蓮信女かくして非業の死を遂げた若紫は、投げ込み寺として知られる南千住の浄閑寺(じょうかんじ。東京都荒川区)に葬られます。
法名(戒名)は紫雲清蓮信女(しうんせいれんしんにょ)。多くの遊女たちが無縁仏として十把一絡げで葬られたのに対して、ちゃんと人間らしく弔われたことから、その別格さがわかるでしょう。
生まれては
苦界(くがい)、死しては
浄閑寺※川柳(花又花酔)
吉原遊郭の大門を生きて出られた遊女は一握り。若紫もまた、自由を夢見ながら果てたのでした。
吉原遊郭には他にも多くの遊女たちのエピソードが伝わっているので、改めて紹介したいと思います。
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