鉄砲が伝来した時、種子島の人はポルトガル人とどうやって会話したの?素朴な疑問の解答がこちら (2/3ページ)
そこではポルトガル人と日本人が、砂浜で筆談をしている様子が描かれていました。
小学生だった当時は、「なるほど、こうして筆談で絵でやり取りすれば話もできるだろう」と納得したものです。
しかし、この「ポルトガル人と砂浜で筆談した」というエピソードが正確ではないことは、今ははっきりしています。
実は、この時ポルトガル人が乗っていた船には中国人も乗っていました。中国人と日本人なら、会話はできなくとも筆談ができます。
ポルトガル人との間で筆談が用いられたのは本当ですが、そこでの会話は「通訳」を介したものだったのです。
こうして鉄砲は「伝来」したもともと、彼らが種子島に来たのは、シャムから中国に向かう途中で暴風雨に遭遇し、船が漂着したためでした。
漂着した砂浜の上で、種子島の人々は杖を使って砂に字などを書いて中国人乗組員と筆談を交わし、船に西洋から来たポルトガル人が乗っていることや、彼らが鉄砲を持っていることを知ったのです。
鉄砲の伝来について記した『鉄炮記』によれば、ポルトガル人は鉄砲を時の島主である種子島時堯の前で撃ってみせたといいます。
その威力に驚いた時堯は、2000金を投じて鉄砲二丁を譲り受けました。