田沼意知(宮沢氷魚)に家系図を渡した佐野政言(矢本悠馬)とは何者?その家系図をたどる【大河べらぼう】 (3/4ページ)

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こうしてみると、代々徳川家に仕えてきたことが分かります。そして9代目が佐野政言でした。

佐野政言『寛政重修諸家譜』に曰く

田沼意知(左。山城守の「山」が袖に書かれている)に斬りかかる佐野政言(手の刀が扇に描き替えられている)。国立国会図書館蔵

政言
源之助 善左衛門 母は某氏。
安永二年八月二十二日家を継、十二月二十二日はじめて浚明院殿に拝謁す。六年二月七日大番となり、七年六月五日新番にうつる。天明四年三月二十四日営中にをいて田沼山城守意知を傷け、意知これがために死するにより、四月三日切腹せしめらる。妻は村上肥前守義方が女。
家紋 丸に剣木瓜 丸に左の古文字

※『寛政重脩諸家譜』巻第八百五十二 藤原氏(秀郷流)佐野

【意訳】佐野政言。通称は源之助(げんのすけ)、又は善左衛門(ぜんざゑもん)。母親は不明。

安永2年(1773年)8月22日に家督を継ぎ、同年12月22日に徳川家治へ拝謁する。

安永6年(1777年)2月7日に大番役を務め、翌安永7年(1778年)6月5日に新番役を務めた。

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