”やりがい搾取”は昔から?江戸時代の作家たち、なんと原稿料はほぼゼロ円だった!【大河べらぼう】 (2/4ページ)

Japaaan

絵本、絵双紙)や黄表紙が庶民の間で最も流行したのは、天明年間(1781~1789年)のことでした。

当時は朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)の『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおり)』や恋川春町(こいかわ はるまち)の『鸚鵡返し文武の二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』、そして唐来参和(とうらい さんな)の『天下一面鏡の梅鉢(てんかいちめん、かがみのうめばち)』が大人気だったと言います。

どのくらい人気かと言いますと、これらの発売当日、板元である鶴屋喜右衛門(つるや きゑもん)の門前に山のような人だかりができるほどでした。

そして発売されるや人々は奪い合うように本を買うので、次から次へ製本しても間に合いません。

仕方がないので、摺り上げてまだ墨も乾ききらない紙に表紙と綴じ糸をセットで渡し「セルフ製本」で売ったそうです。

このことからも、当時の出版物がいかに人気を誇ったかが分かるでしょう。

まさに「やりがい搾取」?

「まったく、書いても書いても暮らしは楽になりゃしねェや」

しかし本屋の連中ときたら、どれほど大儲けしても、本の筆者に支払う報酬はどこまでのケチりました。

年始のお年賀や年末のお歳暮として錦絵や絵草紙でも贈ってくれればまだマシな方……って、それお店の売れ残り(何なら刷り損じ)じゃないでしょうね!?

そんな具合ですから、もちろん原稿料なんてくれるはずもありません。

たまに大ヒットを飛ばしても、その作者や絵師、彫師を吉原遊廓へご招待……する訳ないでしょう。

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