ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【後編】 (1/3ページ)

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ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【後編】

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ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【前編】

飛行器の開発を断念した忠八は大日本製薬株式会社に入社し、努力の末に 支社長 へと昇進しました。この頃から彼は自動車業界にも興味を持ち、自動車販売や運送業 に進出します。

当時の日本では 自動車は西洋からの高価な輸入品 であり、ごく一部の富裕層しか手にすることができませんでした。忠八は 「これからは自動車の時代が来る」 と確信し、積極的に事業を展開。一定の成功を収めましたが、どんなに実業家として成功しても、彼の心の奥底には 飛行機への強い未練 が常に残っていました。

再び蘇った空への情熱 ― 「8号機」の開発計画

1910年、日本で 初の動力飛行 が成功すると、忠八の心に再び火が灯ります。「やはり自分の発想は間違っていなかった」と確信した彼は「8号機」と呼ばれる動力飛行機 の開発計画を立てました。

この 竹と絹で作った軽量な機体に蒸気エンジンやガソリンエンジンを搭載 する構想は、画期的なものでしたが、再び 資金の壁 に阻まれます。

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