吉原遊郭でも大人気!高級なイメージの「馬肉」江戸時代ではファストフードだった!?

今は高級なイメージのある「馬肉」。
実は江戸~明治の頃、吉原遊郭では門前に、20〜30軒もの馬肉料理店が軒を連ねていたのをご存知ですか?
馬肉で精をつける…だけではこんなにも繁盛しませんよね。
ちょっと想像してみてください。当時は車がない時代。農業や荷運び用に重宝&活躍したのが「馬」。今よりも、その辺にかっぽかっぽと往来していたわけです。
ちなみに歌川広重「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」の浮世絵は馬のお尻の大写し。

さらには吉原の裏手は田園地帯が広がっており、農耕馬も多く、老いたり、怪我をした馬は食用として処分されていました。また馬は、客が吉原という僻地へ来る際の交通手段でもあり、まれに客の“借金のカタ”として売られることもあったそうな。
馬肉は常に供給されており、地産地消されていたのです。なので、今のような高級な食材ではなかったのですね。
遊郭でにぎわっていた頃は、昼から翌朝まで、ほぼ24時間営業で手軽に食べられていたそうです。
明治以降、戦争がはじまると、馬は軍馬として徴用されて減ってしまい、戦後は近代化によって車にとってかわられ、いつしか吉原も衰退しました。馬肉を提供する店はどんどん姿を消していったというわけです。
味付けは?で、どんな風に食べられていたのか。
料理は馬刺、馬肉のすし、馬鍋など。馬鍋は駒形どじょう鍋のような浅い鍋で、砂糖と醤油を入れて煮て、そこにさっとくぐらせて食べる。そんな風情を現在も伝える、馬肉を味わう老舗、桜鍋の名店「桜なべ 中江」さんが吉原にあります。
2010年(平成22年)には登録有形文化財にも指定されており、風情を感じたいなら、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
牛鍋とすき焼きはどう違う?
馬肉があまり手に入らなくなると同時に、明治期には桜鍋ではなく牛鍋が登場します。
こちらの牛鍋、すき焼きとどう違うのでしょうか?実は「煮る」か「焼く」かで異なるのです。その違いは…
牛鍋は味噌や醤油を使ったたれでぐつぐつと煮込みますが、すき焼きは肉を焼いてから、醤油、砂糖、酒を基にした割り下を浸して食すという違いがあります。ちなみに割り下を使うのは関東風、「ざらめ(砂糖)と醤油」だけで牛肉を焼くのが関西風。
桜鍋と牛鍋は、似ているといえます。
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仏教徒ゆえに獣肉は禁忌禁忌といわれてきましたが、どっこい、日本人は普通に獣肉に親しんできたわけです。
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