足利義満の容赦ない「皇位簒奪計画」…義満と天皇の権威の壮絶なるせめぎ合いとその結末【前編】 (2/3ページ)
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父から息子に引き継がれる「男色」の歴史!足利将軍たちと絶世の美少年たちの関係【前編】 皇位簒奪の意図とその根拠義満が権謀術数に長け、皇位を奪おうとした人物だと見られているのは理由があります。
彼には皇族の血が流れていて、天皇家へのコンプレックスがありませんでした。
義満の母・紀良子は順徳天皇の子孫で、当時の天皇・後円融天皇とは従兄弟です。しかも同年齢なので、遠慮がありません。
こうした背景もあって義満は天皇と何度も対立し、ここで天皇は抵抗したものの、譲歩せざるを得ませんでした。
こうした背景から、彼は皇位簒奪を本気で狙った史上初の人物とされています。
一応、蘇我入鹿も皇位簒奪を狙った人物として語り継がれていますが、それについての信憑性は疑わしいとされています。よって、足利義満は日本史上初めて皇位簒奪を狙ったと言えるのです。
天皇の無力化の具体策義満による天皇の無力化は、1385年(至徳2年/元中2年)にはすでに始まっています。
