まさしく”武士の時代”の始まり!平安時代に起きた「保元の乱」の歴史的な意義・全貌をわかりやすく解説 (2/4ページ)
しかし、ここから天皇家は複雑な人間関係のもと、親子や兄弟で争う内紛が生まれていくのです。
鳥羽上皇 vs 崇徳天皇 ~複雑な皇室の確執~白河上皇が亡くなると、実権は鳥羽上皇に移ります。しかし、この鳥羽上皇と崇徳天皇の仲がとても悪かったことが、保元の乱の大きな原因です。
なぜ二人の仲が悪かったのでしょうか?
それは、崇徳天皇が実は鳥羽上皇の子ではなく、白河上皇と待賢門院の不義の子だという噂があったからです。
鳥羽上皇は崇徳天皇を冷たく扱い、「叔父子(おじご)」と呼び、まるで他人のように遠ざけました。 一方、鳥羽上皇は大好きな妻・美福門院との間に生まれた近衛天皇を次の天皇にしたいと考えました。 藤原家の兄弟対立が争いをさらに激化天皇を支える藤原氏(摂関家)も兄弟で分裂して対立します。摂関家の兄弟争いが、天皇家の対立をさらに複雑にしました。