まさしく”武士の時代”の始まり!平安時代に起きた「保元の乱」の歴史的な意義・全貌をわかりやすく解説 (3/4ページ)
藤原忠通(ふじわらのただみち):兄であり、鳥羽上皇・後白河天皇側についた。摂政・関白としての地位を守ります。 藤原頼長(ふじわらのよりなが):弟であり、崇徳天皇側についた。野心家で、政治の実権を握ろうと動きます。
こうして天皇家と摂関家がそれぞれ二つの陣営に分かれて対立し、保元の乱への道筋ができていきました。
「保元の乱」の勃発鳥羽上皇が亡くなると、崇徳上皇はついに我慢の限界を迎え、武力で政治の実権を奪おうと決意します。こうして1156年、保元の乱が勃発しました。
ここで重要なのは、天皇や貴族が直接戦ったわけではないということです。
実際に戦ったのは、彼らに仕える武士たちでした。
保元の乱は後白河天皇側の勝利で終わります。崇徳上皇は敗北し、讃岐へと流されました。一方で、藤原頼長もこの乱で死亡し、摂関家はさらに衰退します。
この乱が歴史において重要なのは、次のような変化をもたらしたからです。
武士の時代の始まりそれまで貴族が中心だった政治に、武士が大きな力を持つようになります。
保元の乱をきっかけに、平清盛や源頼朝といった武士たちが台頭し、やがて源平合戦へとつながっていきます。