藤原京から平城京への遷都の理由…それは「あの人物」の権力誇示のためだった!?【前編】 (3/4ページ)

Japaaan

平城京にあった大極殿(Wikipediaより)

その後、同年12月に建設工事が始まり、わずか1年4か月後の710(和銅3)年3月、遷都が行われます。

先述の通り、この遷都にはいくつかの疑問点があります。中でも腑に落ちないのは、元明天皇自身は遷都に消極的であったふしがみられることです。天皇は詔の冒頭で「遷都のことは急がなくてもよい」と述べているのです。

そしてその後、「しかし、皇族や大臣らみんなが遷都のことをいうので、衆議も無視できない。都は百官の府であり、自分だけが楽しむわけにはいかない。利点があるなら従うべきだ」とも述べました。

藤原京跡

また、天皇は藤原京を去って平城京へ向かう途中で、飛鳥の方を臨んで次のような歌を詠んだと伝えられています。

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