この生き様、どう描く!?平賀源内の遺体を引き取った相棒・平秩東作(木村了)の男気あふれる生涯【大河べらぼう】 (5/6ページ)
そんな天明6年(1786年)、幕府で勘定組頭を務めていた土山宗次郎(つちやま そうじろう)が公金横領の罪で失脚。逃亡していたところを、平秩東作は匿ってやります。
「何だって、公金に手をつけるなんてしたんだよ」
「誰袖(たがそで)を1,200両で身請けしたんだ。その身代金さ」
吉原遊廓でも当代一と誉れ高い大文字屋の誰袖(たがそで。劇中での役名は”かをり”)。現代の貨幣価値に直すと約1億2千万円(所説あり)という巨額の身請けでした。
そんな金で身請けしたって、彼女を幸せに出来るはずがない……果たして宗次郎は捕らわれ、斬首されてしまいます。
匿ってやった平秩東作も急度叱(きっとしかり。厳重注意)を受けたのでした。
エピローグ
『古今狂歌袋』より、平秩東作。五尺に足りぬ小男で、眼鏡をかけていた模様。
急度叱を受けたことで意気消沈してしまったのか、平秩東作はあれほど情熱を燃やしていた狂歌界から身を引きます。
仲間に迷惑がかかることを恐れたのか、あるいは仲間たちから疎まれたのかも知れません。
そして寛政元年(1789年)3月8日、64歳で世を去りました。