南北朝時代の「南朝」はただの亡命政権ではなかった!その実態と北朝との共存関係が明らかに【前編】 (2/3ページ)
この歌集には皇族のほか、摂関家をはじめとする多くの公家や僧侶が名を連ねており、政権を運営するに不足ない人材が備わっていたことが分かります。
また、1420首の和歌とそれが詠まれた状況を伝える詞書から、南朝も内裏や役所・関連寺院を構え、吉野陥落後も正月や七夕などの歌会はもちろん、主要な年中行事や儀式を継続していたようです。
古来、歌会というのは王権と密接な文化的装置でもありました。こうした歌会を開くことで、文化的に武家方を圧倒していることを示す政治的な目的もあったはずです。
南北朝の共存関係現存する天皇の命令文書(綸旨)の宛先などから、南朝を支えていたのは大和・河内・和泉・紀伊などの近畿南部の武士や寺社、そして悪党と呼ばれた体制外の勢力だったことが分かっています。
このほか、伝統的に中央政府からの自立性が強い九州も、南朝の強固な地盤となりました。