政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【後編】 (5/6ページ)
家光は、祖父・家康や父・秀忠と異なり、「生まれついての将軍」でした。すなわち、戦を経験したことのない武家の棟梁であり、諸大名にとってはカリスマ性に欠けた存在でした。
さらに家光は、幼少期には病弱で吃音があり、容姿も決して美麗とは言えなかったとされます。そのため、弟の忠長を将軍に推す声も多く、春日局はその窮状を家康に直接訴えたと伝えられています。
そのような家光を立派な将軍へと導いたのが、千姫と春日局であり、春日局の死後は、家光は何かにつけて、将軍家長老である千姫を頼ったといわれているのです。
優しさと誠実さにあふれた千姫1666年、千姫は70歳でその生涯を終えました。戒名は「天樹院殿栄譽源法松山禅定尼」。その墓所は小石川の伝通院と茨城県常総市の弘経寺にあり、京都の知恩院には分骨された宝塔が建てられています。