名ばかり将軍たちの悲哀…室町幕府はなぜ ”ゆるブラック企業” 的な存在に?トップの無力ぶりを検証 (2/4ページ)
三代将軍・足利義満は、南北朝を統一し、日明貿易を始め、金閣寺も建てました。この時代だけは、将軍が政治・外交・文化すべてにおいて実権を持っていたといえます。しかし、それ以降の将軍たちは違いました。
政治の主導権は「管領」や「有力守護大名」といった家臣たちに握られ、将軍は儀礼的な存在になります。「将軍なのに、政治の舵取りができない」状況が当たり前になっていったのです。
社内トラブルから内乱へ──応仁の乱の構造将軍家のなかで起きた跡継ぎ争いが、のちのち全国規模の戦争にまで発展することになります。とくに八代将軍・足利義政の時代に起きた「応仁の乱」(1467〜)は、その典型例です。
ごちゃごちゃして分かりにくい!、室町時代「応仁の乱」発生のきっかけと経緯、その結末を総まとめ
これは本来、義政の後継をめぐる家の中の問題でした。ところが、将軍の権威が弱く、家臣たちがそれぞれ自分の主張を通そうと動いた結果、京都を中心に長期戦へと突入。
もはや将軍は戦乱を止めるどころか、ただ見ているだけの存在になってしまいました。

