文学少女が遊郭へ…大正時代、吉原遊郭に売られた遊女「春駒花魁」脱走〜救済〜失踪の記録 (3/3ページ)
春駒は柳原夫妻や労働総同盟(ナショナルセンター)の岩内善作(いわうち ぜんさく)らに支援を受け、遊女の自由廃業が認められました。
当時は現代以上にブラック企業が横行していたことから、労働組合によって多くの労働者が奴隷的搾取から解放されたことでしょう。
この大正15年(1926年。昭和元年)に春駒は自身の日記『光明に芽ぐむ日』を出版。長金花楼はじめ多くの遊女たちが受けている仕打ちの数々を、白日の下にさらしたのでした。
春駒は自由廃業に際して。手助けしてくれた外務省翻訳官補の西野哲太郎(にしの てつたろう)と親交を深め、やがて結婚します。
昭和2年(1927年)には『春駒日記』も出版し、辛い過去を昇華させました。
しかし当時は遊女や吉原者に対する差別も根強く存在しており、そのために西野は外務省から免職されてしまいました(※自ら退職した説も)。
しかし春駒のような遊女たちを解放するため、自由廃業運動を推進。そのため暴力団から追われる身となってしまいます。
暴力団にしてみれば遊女の調達は資金源の一つですから、西野の存在は邪魔でしかありませんでした。
西野については日本の敗戦後(昭和20・1945年以降)、東洋大学の講師を務めたことが確認されています。
一方で春駒については昭和5年(1930年)を最後に消息不明。逃亡中に命を落としたか、あるいは西野と離婚してしまったのかも知れません。
それとも二人で、ひっそりと幸せな暮らしを守り抜いたのでしょうか。
春駒(森光子)基本データ 生没:明治38年(1905年)生~没年不詳(昭和5・1930年以降) 本名:森光子 改名:森光子⇒西野光子 別名:春駒(源氏名) 職業:遊女(花魁) 所属:長金花楼(金華楼) 伴侶:西野哲太郎(鉄太郎とも) 子女:不明 終わりに今回は明治末期から昭和初期にかけて生きた遊女・春駒(森光子)について、その生涯をたどってきました。
純真無垢な文学少女が過酷な吉原遊郭での暮らしを生き抜けたのは、こよなく愛した文学の力ゆえだったのでしょう。
吉原遊郭にはこのような悲話が多く伝わっており、また他の遊女たちについても、改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』朝日文庫、2010年1月 森光子『春駒日記 吉原花魁の日々』朝日文庫、2010年11月 山家悠平「闘争の時代の余熱のなかで ―森光子『春駒日記』の描く吉原遊廓の日常風景―」日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan