生き延びても地獄!幕末の「桜田門外の変」で命拾いした彦根藩士たちの残酷すぎる末路… (5/5ページ)

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月岡芳年「江水散花雪」より、戦闘の一幕。

朝比奈三郎八(あさひな さぶろうや) 朝比奈文之進(あさひな ぶんのしん) 小幡又八郎(おばた またはちろう) 小島新太郎(こじま しんたろう) 長野十之丞(ながの じゅうのじょう)

軽傷者が切腹ですから、無傷で帰って来た者たちがそれよりよい扱いを受けられる訳がありません。

という訳で、彼らについては斬首刑に処せられました。

「同じ死ぬなら、切腹と何が違うんだ」「むしろ自分で腹を切らねばならない切腹の方が斬首よりも痛そうで怖い」という声が聞こえて来そうです。

しかし当時、切腹とは武士として名誉と尊厳を保つ死であったのに対して、斬首は卑しい罪人として扱うことを意味していました。

もちろん遺族に対しての扱いも大きく異なり、より過酷な境遇に置かれることになります。

終わりに

以上、桜田門外の変における彦根藩士たちの末路をたどってきました。

ひとたび事あれば命を擲って主君を守り、守れねばやはり命を擲たねばならなかった、厳しい武士の定めが痛感されます。

ちなみにここで名前が出て来た人物は合計27名。当初彦根藩の行列は60名ばかりとありましたが、残る30名ほどは武士ではなかったため、逃げ出したか人知れず処分されたのでしょう。

個人的には下野国佐野へ流された8名の末路も気になるところです。

それぞれの思いを胸に、幕末を駆け抜けた志士たちの活躍について、また紹介したいと思います。

※参考文献:

岡村青『水戸藩』現代書館、2012年11月 山川菊栄『覚書 幕末の水戸藩』岩波書店、1991年8月 吉田常吉『井伊直弼』吉川弘文館、1985年9月

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