生き延びても地獄!幕末の「桜田門外の変」で命拾いした彦根藩士たちの残酷すぎる末路… (3/5ページ)
藩士、戦闘で死亡。年齢不詳)
※名前の読みや身分については、諸説あります。以下同じ。
浪士たちに討ち取られた井伊直弼はもちろん、命を擲って忠義をまっとうした者たちについては、当然ながらお咎めなしです。
彦根藩の重傷者8名はどうなった?
月岡芳年「安政五戊午年三月三日於イテ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図」
片桐権之丞(かたぎり ごんのじょう。奥供) 桜居猪三郎(さくらい ゐさぶろう。御供目付) 柏原徳之進(かしはら とくのしん。小姓) 草刈鍬五郎(くさかり くわごろう) 松居貞之進(まつい ていのしん) 萩原吉次郎(はぎわら きちじろう) 政右衛門(せいゑもん。苗字不詳、御陸尺=駕籠人足) 勝五郎(かつ ごろう。名前のみ勝五郎か?。御陸尺)戦闘によって重傷を負った者たちについては、下野国佐野(栃木県佐野市)へ配流処分とされてしまいました。
現代の基準だと、重傷の定義は1ヶ月(30日)以上の治療を必要とするのですが、当時はどのように判断されたのでしょうか。
その後、彼らが生き延びられたかは、それぞれの回復力と経済力にかかっています。