生き延びても地獄!幕末の「桜田門外の変」で命拾いした彦根藩士たちの残酷すぎる末路… (1/5ページ)
時は安政7年(1860年)3月3日、江戸城の桜田門外(東京都千代田区霞が関)で大老で彦根藩主の井伊直弼(いい なおすけ)が、尊皇攘夷派の浪士たちによって暗殺されます。
これが後世に伝わる「桜田門外の変」。井伊直弼らが推進した安政五ヶ国条約(※)など、国を誤らせる政策に対する怒りが暴発した結果でした。
(※)アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスそれぞれと締結した不平等条約で、治外法権(日本国内の外国人犯罪を日本の法律で裁けない)や関税自主権がない(日本だけ輸入関税を決められない)などの内容となっています。
当日は彦根藩士60名ばかりが井伊直弼を護衛しており、防戦の結果多くの者が死傷。生存者については厳しい処分が下されました。
せっかく命拾いしたのに……と思うのは現代人の感覚で、当時としては「主君を守れなかった」「忠義をまっとうできなかった」不覚悟を恥じたのでしょう。
今回は桜田門外の変で生き延びた者たちが、どのような末路をたどったのかを紹介したいと思います。