朝ドラ「あんぱん」ドキンちゃんのモデルだった!?嵩の母・登喜子(松嶋菜々子)のモデル・柳瀬登喜子の生涯 (3/5ページ)

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翌年2月に長男の(のちのやなせたかし)を出産。大正10(1921)年には次男・千尋も授かりました。

その後、登喜子たちは朝日新聞上海特派員となった清に同行して移住します。

しかし大正13(1924)年、清は赴任先の厦門で急逝。登喜子は30歳という若さで未亡人となってしまいました。

残された道は、幼子を伴って高知へ帰還するだけでした。

上海。登喜子は同地の海外特派員となった夫・清とともに赴くが…

「ずるくあれ」の教え

未亡人となった登喜子は、自身の生活再建のために奮闘します。

自身と子供たちを養うために、手に職を付けるべく茶道・華道・三味線・洋裁と習い始めました。

しかし地方で女性が自活する壁は高く、苦労したと伝わります。

そんな折、登喜子は小学生の嵩に向けて「あなたは真面目すぎる。生きるにはもっとずるくならないと」と言い放ったといいます。

経済的限界の中で登喜子は再婚を決意。千尋は医師である伯父(清の兄)の養子に、嵩は同じ伯父宅の「書斎部屋」に預け、3度目の婚家へと去りました。

嵩が後年まで忘れなかった「遠ざかる母と白いパラソル」の情景は、朝ドラ『あんぱん』名場面の原型となっています。

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