朝ドラ「あんぱん」嵩の弟・柳井千尋(中沢元紀)のモデルである柳瀬千尋の、駆逐艦・呉竹での最期 (3/4ページ)

Japaaan

その後、半年間の速成教育ののち、対潜水艦探知装置を扱う分隊士となりました。

同僚証言によれば「几帳面で冗談の少ない秀才肌」だったといい、艦内日誌にも細かな装備整備の指示が残ります。  

京都帝国大学(京都大学の前身)。千尋が学問に励んだ。

やなせ氏は『アンパンマンの遺書』で「弟は海軍特攻隊に志願した」と記しています。しかしこれは、千尋が任務内容を曖昧にしか語らなかったため生じた誤認でした。近年、国立公文書館の履歴原本が公開され、特攻兵科への転科記録がないことが確認されています。

バシー海峡での最期

やがて千尋に運命を一変させる瞬間が訪れます。

昭和19(1944)年12月下旬、乗船していた呉竹がマニラ脱出船団護衛のため台湾バシー海峡へ向かいました。

同月30日、米潜水艦「レザーバック」の雷撃三発が呉竹に命中。艦はわずか数分で沈没しました。乗員約220名のうち71名が戦死、千尋もその一人でした。   

翌昭和21(1945)年春、柳瀬家に木札が一枚入った骨壷が届きます。木札には「海軍中尉 柳瀬千尋」とありました。 

この「空の骨壷」は、兄を終生苛む象徴となり、やなせ氏は「名前のように千尋の深海に沈んだ」と書き残します。

やなせ氏はフィリピン戦線から帰還後、弟の死を知り「他者を救うには自己犠牲が要る」と痛感したと語ります。アンパンマンが自らの顔を分け与える場面は、千尋の「見えない献身」への鎮魂でもあったのかもしれません。  

晩年のエッセイでやなせ氏は「絶望の隣に希望がある」と繰り返します。

「朝ドラ「あんぱん」嵩の弟・柳井千尋(中沢元紀)のモデルである柳瀬千尋の、駆逐艦・呉竹での最期」のページです。デイリーニュースオンラインは、駆逐艦呉竹柳瀬千尋柳井千尋やなせたかしあんぱんカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る