これが日本初の著作権トラブル?福澤諭吉『西洋事情』をめぐる”偽版”騒動とその影響【後編】
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これが日本初の著作権トラブル?福澤諭吉『西洋事情』をめぐる”偽版”騒動とその影響【前編】しかし、福澤はこれを明確に「著作権の侵害」と受け取りました。
1868(慶応4)年4月、福澤は新聞『中外新聞』に抗議文を掲載し、著作者の権利を守る必要性を世に訴えます。さらに同年10月には、明治新政府に対して翻訳書の無断重版を禁止するよう求める文書を提出しました。
明治維新からわずか1カ月後という混乱のさなか、著作物の権利保護を訴えたこの行動は、きわめて先進的なものでした。実際、この動きと軌を一にするように、1869(明治2)年には「出版条例」が制定されます。出版物には事前の届け出と検印が必要となり、「版権(=専売の権利)」という考え方が法制度の中に組み込まれました。
この制度はさらに整備され、1875(明治8)年の改正で「版権」という語が正式に法令で使われるようになり、1899(明治32)年には近代的な著作権法の施行に至ります。
『西洋事情』をめぐるこの一連の出来事は、単なる出版トラブルではありませんでした。著作権という新たな概念を社会に広め、その制度化を促したという点で、日本の知的財産保護の歴史において重要な出発点となったのです。
福澤諭吉が唱えた「知は保護されるべきもの」という理念と、黒田麹廬が信じた「知は広く届けられるべきもの」という信念。その交差の中に、日本初の著作権トラブルがありました。それは、新時代を迎えた明治日本において、出版と知のあり方を問う象徴的な出来事だったのです。
近代日本の「著作権」という制度は、保護と共有、個人と社会、商業と教育──それぞれがぶつかり合いながら、やがて形を持ちはじめたのです。『西洋事情』をめぐる騒動は、単なる二者の対立ではなく、私たちが今も直面する「知の自由」と「知の責任」の出発点だったといえるでしょう。
参考文献
福澤 諭吉 (著), マリオン・ソシエ (編)『西洋事情』(2009慶應義塾大学出版会) 堀井 健司「幕末維新期における版権についての一考察」『出版研究』40巻(2010 日本出版学会)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
