大河「べらぼう」田沼意次の側近・三浦庄司(原田泰造)の栄光と、後に訪れる転落の生涯… (3/4ページ)

Japaaan

陪臣(ばいしん)の身として、我等をかく取扱こと世に希なることなるべし。予は大勝手の外は知らず。中勝手、親類勝手、表坐敷等、定めて其體(そのてい)は同じかるべし。當年(当年)の權勢これにて思ひ知るべし。然ども不義の富貴、信(まこと)に浮雲(うきぐもが)如くなりき。

※『甲子夜話』巻之二 40「田沼氏在職中の有り様并陪臣驕奢の事」

【意訳】今でも「いかがなものか」と思っているのは、公用人の三浦某(庄司)についてである。

アポイントをとって田沼様へ面会にうかがったのに、三浦が出てきて「田沼様がおいでになると他のお客様が群がってしまうため、こっそりお会いいただきます」とのこと。結局人目につかない隠れ部屋に通された。

陪臣(主君の直臣ではなく、直臣の家来)の分際で、私たちをこのように扱うことは論外である。

私は田沼邸の大勝手(大広間)以外は通されたことがないが、中勝手(中広間)・親類勝手(親類のみ通す部屋)・表座敷(応接間)なども、ほとんど変わらない広さなのであろう。

それにしても、今回の件で、田沼様の権勢ぶりを思い知った。が、不義によって得た富貴など、しょせん浮き雲のように儚いものであった。

……大名であっても、このように粗末な扱い。

それでも面と向かって抗議できないほど、田沼政権は陪臣までもが権勢を誇っていたのでした。

主君の失脚とともに追放

失意の晩年(イメージ)

しかし奢れる者は久しからず。天明6年(1786年)に田沼意次が失脚すると、三浦庄司も無事ではすみません。

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