お江戸版ブラック庁舎!?超激務だった江戸時代の町奉行所の知られざる実態 (4/4ページ)
そのため、複雑化・広範囲化する犯罪に対処することが難しくなり、火付盗賊改が設置されることになったのです。
『鬼平犯科帳』では、火盗改が逮捕した者を拷問したり、犯人を捕縛時に斬り捨てたりするシーンがたびたび描かれています。
ところが、こうした強硬手段は火盗改のみに許可されていたものでした。町奉行所では犯罪者は生きたまま捕らえるのが基本で、むやみに拷問することもできなかったのです。
「名主」による民間の治安維持南北の町奉行所で、治安担当の同心は「町廻」を中心にそれぞれ20人ほどしかいませんでした。
それでも江戸が一定の治安を維持できたのは、件数の多い民事の問題は民間で解決が図られる仕組みがあったからです。
今日では、行政機関は住民のために奉仕する「公僕」の位置づけですが、江戸幕府の武士は特権階級であり、基本的に幕府が管轄するのは武士が中心となります。
そのため、民間では「名主」と呼ばれる町役人が問題解決にあたりました。名主は町人の立場ですが、苗字帯刀が許され、代々世襲で務めていました。
町奉行の役宅では、連絡や訴訟の議を行う場である内寄合が月3回行われ、そこでは町年寄(町役人のトップ)が呼ばれました。
町触れなどを通達された町年寄は、名主組合の町名主を自分の役所に集めて通達します。町名主はさらに家主・地借(借地人)・店借(借家人)などの町人にこれを伝えました。
この町触れも町奉行からの上位下達ではなく、町年寄りや町名主がまとめたものを町奉行が承認して、下達される仕組みでした。意外と町人は自治的な暮らしを営んでいたのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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