坂本龍馬を救った剣豪・三吉慎蔵。寺田屋事件で見せた忠義と、その知られざる生涯とは? (2/5ページ)
洋学を導入し、海防の知識に明るかった江川太郎左衛門から西洋の砲術を学んだとされる。
1863年に下関で起こった長州藩と列強四国の武力衝突事件をきっかけに、国防を目的として結成された精鋭隊の監督職を任されている。
坂本龍馬との出会い1866年。土佐藩脱藩浪士となっていた「坂本龍馬」と出会う。
慎蔵と盟友関係を築いた土佐脱藩浪士「坂本龍馬」(Wikipediaより)
二人を引き合わせたのは慎蔵と同じ長府藩士であり、藩主・毛利元周の側近として活動していた「印藤聿(のぶる)」だった。この人物は長府藩で海防に携わる仕事を任されており、龍馬と長府藩を繋ぐ役目を果たしていたと考えれれている。印藤の紹介によって知り合った慎蔵と龍馬は後に盟友となる。
同年、長府藩より京都の情勢を探る任を受けた慎蔵は龍馬と共に下関を発った。この時の慎蔵に龍馬の護衛任務はなかったとされ、あくまでも藩命による情報収集が目的であった。
当時の龍馬は、薩摩藩と長州藩の軍事的同盟である「薩長同盟」締結に尽力しており、京都・伏見にある「寺田屋」に宿泊する手筈となっていた。
後にこの寺田屋で、慎蔵と龍馬の絆を深めることになる事件が勃発する。
長府藩出身で一流の槍術使いとして藩命を全うした「三吉慎蔵(みよししんぞう)」。坂本龍馬との交流も深かった慎蔵は幕末の日本にあって長府藩に尽力した。